2018-06-26(Tue)
後悔先に立たず・・・
今日はかなり真面目な話。
夜中にお腹が空いて夜食を食べていて・・・急に後悔が襲ってきたので。
人生の選択において、基本的に後悔はしないんだけれど、それでも「ああ、あのときこうしていれば or してなければ」と思うことが少しだけある。
そういう後悔はいつまでも自分の心の内に渦巻いていてーー断言できる。
この先も一生、消化されることはない。
まずは看護師をしていたとき、患者さんに対して「あのときああ言わなければ良かった」という後悔が数点。
(ああしていれば、は、挙げればキリがないし、医療従事者は誰しもぶつかる壁だと思うので別として・・・)
「ああ、やってしまった」の後悔だよね。
だけれど取り返しのつかないことが医療現場では多々あるのも事実だから、取り返せない、且つ、拭えない後悔は絶対消えないと思う。
ふとしたときに、そういうことを思い出す。
だけど私は看護師という仕事が好きだし、やっぱり医療関連の仕事に一番惹かれるから、今後も医療に携われる道を行くんだと思う。
・・・のらくらしていて何ですが。
そして今回、急に新たな後悔が襲ってきたのは、世界一周中に、手を差し伸べられなかった姉弟達のこと。
夜中にお腹が空いた。
↓
夜食を食べる。
↓
正直、食べなくても良いご飯。
そしてふと、モロッコで会った3姉弟のことを思い出した。
旅をしている間は不思議なもので、基本的に節約生活=その土地の物価に応じた行動を取るようになる。
その時の私は確か1つ30円のパンを2つ買って、それでも「安い」ではなく「1食分として妥当」な値段だという感覚で食べていた。
10歳位?のお姉ちゃんが、2人の、たぶん5歳位の男の子達の手を引いて、私達の元へ来た。
基本的に子どもが寄ってきて手を出してきたときは、「何か頂戴(お金の要求が多い気もする)」ということ。
お金を渡すと葉っぱを買っちゃったり親に取られたりする?らしく、お金を渡すのはNG。
ラオスでは持っていた食べ物で食べないお菓子をあげたりしたけど、基本的に多くの人が「無視」することが多いと思う。
(特に観光客ではなく旅人は)
このときの私達も、目を合わせないようにした。
すぐにその子達は去っていったけれど、その後「こういう時、どうしたら良いのか分からなくなる」という話をした。
だけれど・・・
その子達はパンを食べている私達の元に来た⇒明らかに、お腹を空かせていた。
しかも1人じゃなくて、幼い弟達を連れていた。
引き連れているお姉ちゃんだって、10歳になるかならないかくらいだった。
何気なくお腹が空いたな~と思って、当たり前のように夜食を食べ、満たされる気持ちの隅で、ふと、お腹が空いた時(しかもご飯時以外)に食べたいものを食べられちゃっている自分は何て・・・・・・と。
何とも、言葉にならない気持ちに胸が締め付けられた。
30円×3つでも、100円以下。
コンビニのお茶1本で、あの子ども達は、少なくともあのときはお腹を満たすことができた。
「1度あげるとずるずる行っちゃう」とか、「一度あげると次も同じことをしなければいけなくなるかも」とか、確かに、それもある。
だけれど、たった1度、1食分でも、幼い子ども達のお腹が満たされるということ。
それ以上のことなんて考えずに、ただその日の飢えを凌げたならば、それで良かったんじゃないかな。
世界中に飢えと戦っている人達はいて、その人達に手を差し伸べよう!! と思って行動に移せるほど、正直私の器量は大きくない。
私は聖人君主じゃないし、目につく人達のことで一杯いっぱい。
だけれどきっと、あの子達が私の元へ来たのは何かしらの縁があって、一期一会じゃないけれど、少なくとも引き寄せられた一瞬の出会いにほんの少しの手を伸ばすことはしても良かったんじゃないかな、って今になって思う。
綺麗事かもしれないけれど、たぶんこの後悔は一生消えないと思った。
だからといって、贅沢することに罪悪感を感じることはないし、発展した国に生まれ育ったことは、歴史の積み重ねの上に起こった事象で、その環境に甘んじることは自然なことだとも思う。
なので今日のブログは、「私の場合」、あーあ・・・って思うことがあったという、ただそれだけのこと。
海外でそういう人達に会った時、皆どうしているのかな?
1,2ヶ国だけの観光で行ったなら、きっとまた違っていた。
だけれど旅している人達は、そういう場に直面することが、日常化する可能性も担っている。
何人か旅人さん達と繋がりがあるし、私が行ったことのない国に行った人達もたくさんいるので、機会があったら聞いてみたいな・・・とも思いました!
では・・・真面目な話をしてしまった・・・
ご拝読ありがとうございました。
夜中にお腹が空いて夜食を食べていて・・・急に後悔が襲ってきたので。
人生の選択において、基本的に後悔はしないんだけれど、それでも「ああ、あのときこうしていれば or してなければ」と思うことが少しだけある。
そういう後悔はいつまでも自分の心の内に渦巻いていてーー断言できる。
この先も一生、消化されることはない。
まずは看護師をしていたとき、患者さんに対して「あのときああ言わなければ良かった」という後悔が数点。
(ああしていれば、は、挙げればキリがないし、医療従事者は誰しもぶつかる壁だと思うので別として・・・)
「ああ、やってしまった」の後悔だよね。
だけれど取り返しのつかないことが医療現場では多々あるのも事実だから、取り返せない、且つ、拭えない後悔は絶対消えないと思う。
ふとしたときに、そういうことを思い出す。
だけど私は看護師という仕事が好きだし、やっぱり医療関連の仕事に一番惹かれるから、今後も医療に携われる道を行くんだと思う。
・・・のらくらしていて何ですが。
そして今回、急に新たな後悔が襲ってきたのは、世界一周中に、手を差し伸べられなかった姉弟達のこと。
夜中にお腹が空いた。
↓
夜食を食べる。
↓
正直、食べなくても良いご飯。
そしてふと、モロッコで会った3姉弟のことを思い出した。
旅をしている間は不思議なもので、基本的に節約生活=その土地の物価に応じた行動を取るようになる。
その時の私は確か1つ30円のパンを2つ買って、それでも「安い」ではなく「1食分として妥当」な値段だという感覚で食べていた。
10歳位?のお姉ちゃんが、2人の、たぶん5歳位の男の子達の手を引いて、私達の元へ来た。
基本的に子どもが寄ってきて手を出してきたときは、「何か頂戴(お金の要求が多い気もする)」ということ。
お金を渡すと葉っぱを買っちゃったり親に取られたりする?らしく、お金を渡すのはNG。
ラオスでは持っていた食べ物で食べないお菓子をあげたりしたけど、基本的に多くの人が「無視」することが多いと思う。
(特に観光客ではなく旅人は)
このときの私達も、目を合わせないようにした。
すぐにその子達は去っていったけれど、その後「こういう時、どうしたら良いのか分からなくなる」という話をした。
だけれど・・・
その子達はパンを食べている私達の元に来た⇒明らかに、お腹を空かせていた。
しかも1人じゃなくて、幼い弟達を連れていた。
引き連れているお姉ちゃんだって、10歳になるかならないかくらいだった。
何気なくお腹が空いたな~と思って、当たり前のように夜食を食べ、満たされる気持ちの隅で、ふと、お腹が空いた時(しかもご飯時以外)に食べたいものを食べられちゃっている自分は何て・・・・・・と。
何とも、言葉にならない気持ちに胸が締め付けられた。
30円×3つでも、100円以下。
コンビニのお茶1本で、あの子ども達は、少なくともあのときはお腹を満たすことができた。
「1度あげるとずるずる行っちゃう」とか、「一度あげると次も同じことをしなければいけなくなるかも」とか、確かに、それもある。
だけれど、たった1度、1食分でも、幼い子ども達のお腹が満たされるということ。
それ以上のことなんて考えずに、ただその日の飢えを凌げたならば、それで良かったんじゃないかな。
世界中に飢えと戦っている人達はいて、その人達に手を差し伸べよう!! と思って行動に移せるほど、正直私の器量は大きくない。
私は聖人君主じゃないし、目につく人達のことで一杯いっぱい。
だけれどきっと、あの子達が私の元へ来たのは何かしらの縁があって、一期一会じゃないけれど、少なくとも引き寄せられた一瞬の出会いにほんの少しの手を伸ばすことはしても良かったんじゃないかな、って今になって思う。
綺麗事かもしれないけれど、たぶんこの後悔は一生消えないと思った。
だからといって、贅沢することに罪悪感を感じることはないし、発展した国に生まれ育ったことは、歴史の積み重ねの上に起こった事象で、その環境に甘んじることは自然なことだとも思う。
なので今日のブログは、「私の場合」、あーあ・・・って思うことがあったという、ただそれだけのこと。
海外でそういう人達に会った時、皆どうしているのかな?
1,2ヶ国だけの観光で行ったなら、きっとまた違っていた。
だけれど旅している人達は、そういう場に直面することが、日常化する可能性も担っている。
何人か旅人さん達と繋がりがあるし、私が行ったことのない国に行った人達もたくさんいるので、機会があったら聞いてみたいな・・・とも思いました!
では・・・真面目な話をしてしまった・・・
ご拝読ありがとうございました。
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