2017-08-27(Sun)
旧アウシュビッツ強制収容所へ個人で行ってきました。
☆ルート☆
フィリピン→ブルネイ→インドネシア→マレーシア→ラオス→ベトナム→カンボジア→タイ→ミャンマー→シンガポール→中国→カザフスタン→キルギス→アラブ首長国連邦(ドバイ)→アゼルバイジャン→ジョージア→アルメニア→ロシア→フィンランド→エストニア→ラトビア→リトアニア→ポーランド
【Poland】
23ヶ国目☆ポーランド☆
2017.8.23
アウシュビッツはクラクフの西にある。
バスで1時間30分、電車だと1時間50分掛かるらしい・・・
【開館時間】
12月~2月 8:00-15:00
3月と11月 8:00-16:00
4月と10月 8:00-17:00
6月~8月 8:00-19:00
*今の時期10:00~15:00は、ガイドなしでは入れません。
私は1日でクラクフの旧市街も周りたかったから、午前中旧アウシュビッツ強制収容所、午後クラクフ歴史地区を回るため、個人で行ってきました。
バスはセントラル駅お隣の、長距離バス乗り場から。
チケット売り場の窓口で、前日の内に始発の6:20のチケットを購入(席は自由席)。
当日運転手からう買うこともできます。
窓口ならカード払い可だけど、運転手からだと現金のみ、片道14ズローティー(420円)。
*注意*
始発は時期によって変わります。実際2、3ヶ月前の情報と違っていた・・・
そして2階チケット売り場に表示されている始発時間は7:00だったので、実際の時間の確認は窓口でしてください。
チケットを買う時は「オシフィエンチム・ミュージアム」と言って買ってね。
アウシュビッツはドイツ語名、ポーランド語では、「オシフィエンチム」というらしいです。
(窓口は英語通じます)
7:45、ミュージアム前到着。
パンフレットでも、事前調べでも、8時~開館ってなっていたけれど、実際は今の時期7:30~っぽい??

ここは当日ガイド付きで申し込む人達の列。
インフォメーションがあるので、ここで当日は申し込めるみたい・・・
帰るときは長蛇の列になっていた・・・
ちなみに・・・
ガイドなしだと、博物館には無料で入れます。
だけど無料で入るにもここで無料券みたいなのを貰わないといけないらしくて並んでいると・・・

インフォメーションが開く前だったけど、係員の人がガイドなしの人用のチケットをくれました。
中には30×20×10センチのサイズを超えるカバンを持っての入場は不可。
事前情報あったから、小さいカバンを持っていって特に問題なく入れました。
ちなみに、カバンが大きい人は入場口の近くに荷物預り所があるので、そこで預けてね(3ズローティー?)。
セキュリティを通り・・・中に入ります。
飲食物は物によっては取り上げられるみたいです・・・そして中は飲食禁止

(水も禁止です
)

何もなしで回るのは訳わからなくなると思う・・・ので、個人で行く人は、入って左手にあるこの建物でパンフレットを購入すると良いと思います。
一番小さいので5ズローティー(150円)。
私はペンも持って行って、自分が回ったルートと、後でどれがどの建物か分かるように、どこで写真を取ったかをメモしながら歩いてみました。
パンフレットには解説も付いているし、事前調べと合わせたら個人でも回れると思う。
*パンフレットは各国のものが取り揃えられていて、日本語もあります。
今回以下のブログに所感は載せません。
こういう場所でした、ということだけ残します。
はじめに・・・
【アウシュビッツ収容所】
1940年、ポーランド人の政治犯収容目的で設立。
後にナチにより、ユダヤ人・ソ連軍の捕虜・ロマ(ジプシー)等、欧州全域の人々が送られていった。
・何故ここに収容所ができたのか?
【目的】
①シレジア地方の刑務所が被収容者で溢れていた
②今後のポーランド人大量逮捕の動きに備えた
【場所の選定】
①市街地から離れていて拡張と隔離が可能だった
②鉄道の要衝で輸送に適していた
⇒ここは戦前にあった軍舎の廃墟だったそうです。
そして・・・あまり知られていないかもしれませんが・・・
アウシュビッツ収容所は、(恐らく)3つあります。
開放されている施設はⅠとⅡ。
まずは初めに設立された、2階建て全28棟からなるⅠの収容所です。

入口。
「Arbeit macht frei」⇒「働けば自由になれる」
収容所正門。

中はこのように、2階建ての建物が並んでいます。

SS(ナチス親衛隊)用病院。
有刺鉄線の外側にあります。

隣にはSS管理局。

その隣には収容所司令部。
写真にあるように、有刺鉄線は2重になっています。

ブロック(各棟にブロック何番、と番号が付けられていた)4にて。
一般展示「殲滅」
中には当時の写真がたくさん展示されていました。
ブロック4は、SS隊員が入浴だと伝え、シャワーの付いた部屋に人々を敷き詰め、チクロンBというガスを投与した場所でもあります。
亡くなるまでに費やした時間、15分~20分。
その後金歯や髪、指輪等が取り去られ、死体は焼却されました。
金歯は延べ棒に、
頭髪は生地に、
人骨の骨粉は肥料に、あるいは周辺の池や川に捨てられました。
以下隣のブロック5、一般展示「犯罪証拠」。

アウシュヴィッツへ追放された人々から没収したトランク。

没収された遺品。

靴。
大量の靴が、両サイドにたくさん積まれ残されています。
以下、ブロック7、一般展示「生活・衛生状況」

初めに輸送されてきた被収容者が寝ていた場所。
初めは藁が敷き詰められていたそうです。

次に藁布団。

三段ベッドが導入されました。
1つのベッドに2人寝ることが多かったそうです。

お手洗い。
洗濯は何カ月もできず、伝染病も蔓延。
定期的にSS医師が患者を選別し、回復が見込めない患者はガス室に送られたりしました。

手前、ブロック10「断種実験ブロック」
奥、ブロック11。ブロック10と11の間には、「死の壁」が。

突き当り、「死の壁」。
何千人ものポーランド人が「銃殺」された場所。
ブロック10と11の間に、1つ前の写真のような高い壁が作られたのも、左側のブロック10の窓に木製の覆いがあるのも、ここで行われた処刑を見られないようにするため。
右側のブロック11の地下は撮影禁止でしたが、1941年9月にチクロンBで集団殺人の実験が行われた場所となっていました。

有刺鉄線の外に、「チクロンBと犠牲者の財政保管倉庫」。

ブロック16と17の間。
「点呼広場・集団絞首台」
赤矢印のものが、復元された「集団絞首台」。

点呼広場の後ろには、「収容所の暖房」。
今は横手に無料で使用できるお手洗いが設置してあります。

ブロック19~21(これにブロック21の斜め向かいにある、ブロック28も加えて)、「被収容者用病院」。
以上が、有刺鉄線内です。
他のブロックで一般展示されている場所には、当時連れてこられた人達の写真が壁一面に貼られていたりしました。
ブロック12と22の間から外に出ると・・・

「警察部(ゲシュタポ)」
ここは・・・

「クレマトリウム(ガス室・焼却炉)」の隣にありました。

「クレマトリウム」内部。

入口に戻ります。
「SS衛兵所・収容所管理部室」
連れてこられた人達は、SS医師に「選別」され、多くの人々が、到着後すぐにガス室で殺されました。
ここまでが旧アウシュヴィッツ強制収容所Ⅰ。
アウシュヴィッツⅡの収容所「ビルケナウ」へは、Ⅰから3㎞位離れているので、バスで向かいます。

無料のシャトルバス。始発は10:30。(これも時期によって変わるみたいです)
12時位までは20分~30分毎位に出ていて、その後は10分毎に往復しているみたいです。
アウシュヴィッツⅡの収容所「ビルケナウ」
ここは時間に関わらず、ガイドなしでも入れます。

突き当りが収容所入り口。
外から線路が内部奥まで伸びていました(これは内部から撮影)。

展示されていた貨物列車。
この中に人が立ったまま敷き詰められ、何日も飲み食いなく、排泄のために外に出されることもなく、収容所に送られてきました。
(着いた時には大量の人、特に、高齢者や子どもたちが亡くなっていたそうです)

①のように、現存していない建物が多いです。
②は残されているけれど、内部には入れません。

クレマトリウムの残骸。
撤退するSS隊員が証拠隠滅のために爆破した焼却炉とガス室です。

一番奥には、「ファシズム犠牲者国際追悼碑」。
各国の言葉で追悼碑が並べられています。

ビルケナウはものすごく広い。
175ヘクタール、300以上のバラック(建物)が建てられていました(現存するものは45棟のレンガ造りと22棟の木造バラック)。
これは奥の追悼碑から撮影。
赤矢印の建物が、入り口です。

クレマトリウムの残骸。

当時の裕福さを表す言葉、通称「カナダ」。
ここには犠牲者から奪った財産の倉庫がありました。

今は煙突しか残されていないバラック。
バラックの大部分は床がなく、土を固めただけのもので、よく泥土と化したそうです。

現存している、木造建ての「隔離収容所」。

元々は馬小屋だったものを、わずかに改良して約400人を収容。
ちなみに・・・
アンネ・フランクは初めこのⅡの収容所に連れてこられましたが、後に「回復可能な病人」として、ドイツの「ベルゲン・ベルゼン」に送られそこで亡くなりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ⅠとⅡの往復バスの時間と、帰りのクラクフ行きのバスの時間を見てⅡは回ったほうが良いかも
Ⅰの周りには、一応、ご飯を食べられる場所等もありました。
あと、8月後半に行ったけど、それでもかなり寒かったので、ジャケットは必須だと思います。
・・・半袖Tシャツ1枚の恰幅の良いおばさんもいたけどね・・・(゚д゚;)

個人で周るなら朝1はお勧め
人多くないからゆっくり回れるし・・・ただ、ビルケナウに行くバスの始発が10:30なのは注意・・・タクシーもいたけど・・・
10時前にギリギリ入ろうと思って9:30位に到着するのは危ういと思う。
9時半くらいにはもう、入口に長蛇の列が出来ていたから・・・(セキュリティチェックがあるから中々進まないし・・・)
(ちなみに、10時前でもガイドツアーはあります)
ではでは~。
今日はここまで☆
読んでいただきありがとうございましたっ
----------
世界一周ブログ村に参加中です☆
1ポチしていただけると嬉しいですヽ(´∀`)ノ
↓↓1ポチ求ム~~↓↓

にほんブログ村
↑↑
フィリピン→ブルネイ→インドネシア→マレーシア→ラオス→ベトナム→カンボジア→タイ→ミャンマー→シンガポール→中国→カザフスタン→キルギス→アラブ首長国連邦(ドバイ)→アゼルバイジャン→ジョージア→アルメニア→ロシア→フィンランド→エストニア→ラトビア→リトアニア→ポーランド
【Poland】
23ヶ国目☆ポーランド☆
2017.8.23
アウシュビッツはクラクフの西にある。
バスで1時間30分、電車だと1時間50分掛かるらしい・・・
【開館時間】
12月~2月 8:00-15:00
3月と11月 8:00-16:00
4月と10月 8:00-17:00
6月~8月 8:00-19:00
*今の時期10:00~15:00は、ガイドなしでは入れません。
私は1日でクラクフの旧市街も周りたかったから、午前中旧アウシュビッツ強制収容所、午後クラクフ歴史地区を回るため、個人で行ってきました。
バスはセントラル駅お隣の、長距離バス乗り場から。
チケット売り場の窓口で、前日の内に始発の6:20のチケットを購入(席は自由席)。
当日運転手からう買うこともできます。
窓口ならカード払い可だけど、運転手からだと現金のみ、片道14ズローティー(420円)。
*注意*
始発は時期によって変わります。実際2、3ヶ月前の情報と違っていた・・・
そして2階チケット売り場に表示されている始発時間は7:00だったので、実際の時間の確認は窓口でしてください。
チケットを買う時は「オシフィエンチム・ミュージアム」と言って買ってね。
アウシュビッツはドイツ語名、ポーランド語では、「オシフィエンチム」というらしいです。
(窓口は英語通じます)
7:45、ミュージアム前到着。
パンフレットでも、事前調べでも、8時~開館ってなっていたけれど、実際は今の時期7:30~っぽい??

ここは当日ガイド付きで申し込む人達の列。
インフォメーションがあるので、ここで当日は申し込めるみたい・・・
帰るときは長蛇の列になっていた・・・
ちなみに・・・
ガイドなしだと、博物館には無料で入れます。
だけど無料で入るにもここで無料券みたいなのを貰わないといけないらしくて並んでいると・・・

インフォメーションが開く前だったけど、係員の人がガイドなしの人用のチケットをくれました。
中には30×20×10センチのサイズを超えるカバンを持っての入場は不可。
事前情報あったから、小さいカバンを持っていって特に問題なく入れました。
ちなみに、カバンが大きい人は入場口の近くに荷物預り所があるので、そこで預けてね(3ズローティー?)。
セキュリティを通り・・・中に入ります。
飲食物は物によっては取り上げられるみたいです・・・そして中は飲食禁止


(水も禁止です


何もなしで回るのは訳わからなくなると思う・・・ので、個人で行く人は、入って左手にあるこの建物でパンフレットを購入すると良いと思います。
一番小さいので5ズローティー(150円)。
私はペンも持って行って、自分が回ったルートと、後でどれがどの建物か分かるように、どこで写真を取ったかをメモしながら歩いてみました。
パンフレットには解説も付いているし、事前調べと合わせたら個人でも回れると思う。
*パンフレットは各国のものが取り揃えられていて、日本語もあります。
今回以下のブログに所感は載せません。
こういう場所でした、ということだけ残します。
はじめに・・・
【アウシュビッツ収容所】
1940年、ポーランド人の政治犯収容目的で設立。
後にナチにより、ユダヤ人・ソ連軍の捕虜・ロマ(ジプシー)等、欧州全域の人々が送られていった。
・何故ここに収容所ができたのか?
【目的】
①シレジア地方の刑務所が被収容者で溢れていた
②今後のポーランド人大量逮捕の動きに備えた
【場所の選定】
①市街地から離れていて拡張と隔離が可能だった
②鉄道の要衝で輸送に適していた
⇒ここは戦前にあった軍舎の廃墟だったそうです。
そして・・・あまり知られていないかもしれませんが・・・
アウシュビッツ収容所は、(恐らく)3つあります。
開放されている施設はⅠとⅡ。
まずは初めに設立された、2階建て全28棟からなるⅠの収容所です。

入口。
「Arbeit macht frei」⇒「働けば自由になれる」
収容所正門。

中はこのように、2階建ての建物が並んでいます。

SS(ナチス親衛隊)用病院。
有刺鉄線の外側にあります。

隣にはSS管理局。

その隣には収容所司令部。
写真にあるように、有刺鉄線は2重になっています。

ブロック(各棟にブロック何番、と番号が付けられていた)4にて。
一般展示「殲滅」
中には当時の写真がたくさん展示されていました。
ブロック4は、SS隊員が入浴だと伝え、シャワーの付いた部屋に人々を敷き詰め、チクロンBというガスを投与した場所でもあります。
亡くなるまでに費やした時間、15分~20分。
その後金歯や髪、指輪等が取り去られ、死体は焼却されました。
金歯は延べ棒に、
頭髪は生地に、
人骨の骨粉は肥料に、あるいは周辺の池や川に捨てられました。
以下隣のブロック5、一般展示「犯罪証拠」。

アウシュヴィッツへ追放された人々から没収したトランク。

没収された遺品。

靴。
大量の靴が、両サイドにたくさん積まれ残されています。
以下、ブロック7、一般展示「生活・衛生状況」

初めに輸送されてきた被収容者が寝ていた場所。
初めは藁が敷き詰められていたそうです。

次に藁布団。

三段ベッドが導入されました。
1つのベッドに2人寝ることが多かったそうです。

お手洗い。
洗濯は何カ月もできず、伝染病も蔓延。
定期的にSS医師が患者を選別し、回復が見込めない患者はガス室に送られたりしました。

手前、ブロック10「断種実験ブロック」
奥、ブロック11。ブロック10と11の間には、「死の壁」が。

突き当り、「死の壁」。
何千人ものポーランド人が「銃殺」された場所。
ブロック10と11の間に、1つ前の写真のような高い壁が作られたのも、左側のブロック10の窓に木製の覆いがあるのも、ここで行われた処刑を見られないようにするため。
右側のブロック11の地下は撮影禁止でしたが、1941年9月にチクロンBで集団殺人の実験が行われた場所となっていました。

有刺鉄線の外に、「チクロンBと犠牲者の財政保管倉庫」。

ブロック16と17の間。
「点呼広場・集団絞首台」
赤矢印のものが、復元された「集団絞首台」。

点呼広場の後ろには、「収容所の暖房」。
今は横手に無料で使用できるお手洗いが設置してあります。

ブロック19~21(これにブロック21の斜め向かいにある、ブロック28も加えて)、「被収容者用病院」。
以上が、有刺鉄線内です。
他のブロックで一般展示されている場所には、当時連れてこられた人達の写真が壁一面に貼られていたりしました。
ブロック12と22の間から外に出ると・・・

「警察部(ゲシュタポ)」
ここは・・・

「クレマトリウム(ガス室・焼却炉)」の隣にありました。

「クレマトリウム」内部。

入口に戻ります。
「SS衛兵所・収容所管理部室」
連れてこられた人達は、SS医師に「選別」され、多くの人々が、到着後すぐにガス室で殺されました。
ここまでが旧アウシュヴィッツ強制収容所Ⅰ。
アウシュヴィッツⅡの収容所「ビルケナウ」へは、Ⅰから3㎞位離れているので、バスで向かいます。

無料のシャトルバス。始発は10:30。(これも時期によって変わるみたいです)
12時位までは20分~30分毎位に出ていて、その後は10分毎に往復しているみたいです。
アウシュヴィッツⅡの収容所「ビルケナウ」
ここは時間に関わらず、ガイドなしでも入れます。

突き当りが収容所入り口。
外から線路が内部奥まで伸びていました(これは内部から撮影)。

展示されていた貨物列車。
この中に人が立ったまま敷き詰められ、何日も飲み食いなく、排泄のために外に出されることもなく、収容所に送られてきました。
(着いた時には大量の人、特に、高齢者や子どもたちが亡くなっていたそうです)

①のように、現存していない建物が多いです。
②は残されているけれど、内部には入れません。

クレマトリウムの残骸。
撤退するSS隊員が証拠隠滅のために爆破した焼却炉とガス室です。

一番奥には、「ファシズム犠牲者国際追悼碑」。
各国の言葉で追悼碑が並べられています。

ビルケナウはものすごく広い。
175ヘクタール、300以上のバラック(建物)が建てられていました(現存するものは45棟のレンガ造りと22棟の木造バラック)。
これは奥の追悼碑から撮影。
赤矢印の建物が、入り口です。

クレマトリウムの残骸。

当時の裕福さを表す言葉、通称「カナダ」。
ここには犠牲者から奪った財産の倉庫がありました。

今は煙突しか残されていないバラック。
バラックの大部分は床がなく、土を固めただけのもので、よく泥土と化したそうです。

現存している、木造建ての「隔離収容所」。

元々は馬小屋だったものを、わずかに改良して約400人を収容。
ちなみに・・・
アンネ・フランクは初めこのⅡの収容所に連れてこられましたが、後に「回復可能な病人」として、ドイツの「ベルゲン・ベルゼン」に送られそこで亡くなりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ⅠとⅡの往復バスの時間と、帰りのクラクフ行きのバスの時間を見てⅡは回ったほうが良いかも

Ⅰの周りには、一応、ご飯を食べられる場所等もありました。
あと、8月後半に行ったけど、それでもかなり寒かったので、ジャケットは必須だと思います。
・・・半袖Tシャツ1枚の恰幅の良いおばさんもいたけどね・・・(゚д゚;)


個人で周るなら朝1はお勧め

人多くないからゆっくり回れるし・・・ただ、ビルケナウに行くバスの始発が10:30なのは注意・・・タクシーもいたけど・・・
10時前にギリギリ入ろうと思って9:30位に到着するのは危ういと思う。
9時半くらいにはもう、入口に長蛇の列が出来ていたから・・・(セキュリティチェックがあるから中々進まないし・・・)
(ちなみに、10時前でもガイドツアーはあります)
ではでは~。
今日はここまで☆
読んでいただきありがとうございましたっ

----------
世界一周ブログ村に参加中です☆
1ポチしていただけると嬉しいですヽ(´∀`)ノ
↓↓1ポチ求ム~~↓↓

にほんブログ村
↑↑
スポンサーサイト
Powered by FC2 Blog
Copyright © 世界一周旅ぶろぐ。 All Rights Reserved.